
田中えり ERI TANAKA
(一社)カシジェーアンバサダー協会 代表理事
カシジェー料理研究家
カシジェーの女王
Story
大阪生まれ東京育ち。学習院大学卒業後、全日本空輸(株)客室乗務員、司法試験受験生を経て、沖縄に移住。
食べることが大好きで、食の美味しさを伝えるフォトライターになる。
沖縄いつもの家族ごはん 急がない競わない癒しの暮らし方」(2022年講談社)を出版する。
与那国島でカシジェーに出会い、カシジェー料理研究家に転身。
約3年の活動で「カシジェーの宴」「カシジェー祭り」「泡盛と愉しむ沖縄そば」などのイベントや、カシジェー料理教室などを50回以上開催。
2025年から「カシジェーお話会と試食会」の全国行脚をスタートさせる。
同年、一般社団法人カシジェーアンバサダー協会を設立。
2026年は、共にカシジェーを普及させるアンバサダーの養成をしつつ、カシジェー原液販売やそれに伴うクラウドファンディング、カシジェー本の出版、泡盛とのコラボイベント、海外への展開を予定している。

沖縄家庭料理のレシピ、沖縄の普通の人の普段の暮らしの尊さを16人の家族料理と生き方を通して伝える本。沖縄の豚やこんにゃく、島豆腐等を煮込んだ「煮付け」という料理の起源は重箱料理の活用法なのだそう。
さらにその煮付けを潰して(プットゥルーという調理法)、赤ちゃんの離乳食にする。重箱の中身を無駄にしない使い回し方や、高温多湿で冷蔵庫のない時代の食べ物の保存法。
沖縄の人には、日本人が忘れかけている暮らしの知恵や、土地や先祖、親族を大切にする心が残っている。これは日本や世界へ誇れるもので、それをありのままに伝えたい。戦禍で人生に傷を負った人も、日々の食と生活を支えに懸命にそして楽しんで生きている。
その暮らし方は、これからの日本人の生きるヒントや癒しに繋がるはず。
元々沖縄で生まれた人、都会から移住した女優、戦争で親がわからない人、文通から嫁いだ人、沖縄本島ではなく、離島に暮らす人。沖縄ならではの神に仕える人、それぞれが豪華でなくても豊かで落ち着いた生活を営んでいる。
それぞれの日常料理と、たどってきた人生から「本当に豊かな人生」のヒントを見出せる一冊です。
Joy of my occupation(仕事の喜び)
自分の中に自信が少しずつ溜まっていくこと。
それは、「私でも波を起こせた」という、外側の世界への自身の影響力を感じられた時。
My goal
人を巻き込む影響力を発揮する。
カシジェーを広めてくれるのも、力を貸してくれるのも人。
カシジェーに関わってくれる人と、力を補充しあって、カシジェーを世界へ持っていく。
沖縄の「粕」を世界の「財」へ。
カシジェーを通して、沖縄を世界から憧れられる場所にする。
世界への影響力を実感できた時、私も沖縄の人も沖縄の地も、自信と喜びに満ち溢れている。
そんな世界を仲間と共に作りたい。
与那国島でのカシジェーとの出会い
与那国島におけるカシジェーの位置づけは、沖縄本島とは大きく異なります。
日本最西端に位置する与那国島では、独自の文化と暮らしの知恵が今も受け継がれています。
この島でカシジェーは、泡盛づくりの副産物としてではなく、暮らしに根ざした食材として生かされ続けてきました。
酒造所に瓶を預けておくと、蒸留の日に出来たてのカシジェーを入れておいてくれる。
それを受け取ることは、島の人々にとって日常の楽しみのひとつでした。
持ち帰ったカシジェーは、新鮮な島魚や薬草に合わせて、「カシジェーの和え物」*として食されます。
この食文化は、カシジェーが単なる未利用資源ではなく、地域の暮らしと知恵に支えられてきた大切な存在であることを物語っています。
与那国島の有羽くんが教えてくれた、私の使命

カシジェーを教えてくれた人、それは与那国島の與那覇有羽くんでした。
その有羽くんが倒れたと聞いた時、
私は、有羽くんを支えられる形をつくりたいと思いました。
それと同時期、あんなに与那国で愛されていたカシジェーが業界では「お荷物」だと思われていたことを知ります。
カシジェーは、自分に自信が持てず、 自分もまた価値のない存在だと感じていた私と重なりました。
だから私は決めたのです。
カシジェーを、沖縄の粕から世界の財へ。
カシジェーを通して、 自分自身も、誰かも、
『世界に必要な存在だと感じられる未来』をつくりたい。
有羽くんとのご縁が、 この活動の原点です。

